引き出しとミツバチ

五十川裕子さんに出会ったのはあるアメリカ人のデザイナーの女性がきっかけだった。世界中を制作の拠点にするデザイナーの彼女は当時、西海岸から頻繁に日本に来ていて、ひょんなことから長崎にある五十川さんの店に行って、落雷に当たったような強い衝撃を受けたという。彼女は何度も私の目を見て言った。引き出ししかないの!


「アトリエ・トア」もしくは「引き出しだけの店」。それは2000年に長崎県長崎市のビルの2階に五十川さんがつくった店だ。文字通り、部屋の壁には床から天井まで引き出しが体裁よく収まっていてそのほかには商品らしきものがない。アポイントの時間にやってきた顧客は、引き出しの正面にあるテーブルに通される。テーブルと引き出しの間には呉服屋によくあるような畳の空間があって、店主の五十川さんがそこにやってくると自宅のダイニングテーブルを囲むかのようにまずは取り止めのない会話が始まる。次第に今の生活に足りないもの、あったらいいな、と思うものの話になると、やっと五十川さんが引き出しに手を伸ばす。そのなかには衣類や生活雑貨、オブジェにいたるまで、出番待ちの役者のように「もの」がきっちりと収まっている。


そんな特別な場所も2016年にクローズ。常に風向きに敏感に反応し、変わり続ける五十川さんの思い切った決断だった。それからは引き出しのなかのものを箱に詰めて、人と場所の縁をたどるように各地を移動して展示会というかたちで販売していった。


五十川さんの動きを見ていると自然界の営みを見ているような気分になる。生み出すことと受け取ることの幸せな循環。


この地球上の生命がそれぞれのかたちで存在するために、見えないところでたくさんの仕事がなされている。たとえば、ミツバチが花粉を運んでいくことで花は種子をつけて果実を実らせ、その恵みを受けて私たちは生きている。花のほうもミツバチだけに蜜を分けるためにさまざまな工夫をしているという。例えば、細い空間に潜り込むミツバチの身体の動きに合うように花は筒のような形に進化して、花粉を奥深いところにしまっている。だからミツバチと花は常に自分に合う相手を探すために、かたや果敢に旅をし、かたや自らを進化させながら相手を受け入れる準備を整えている。


五十川さんには出張先のヨーロッパで何度か会うことがあった。大抵、仕入れを済ませたあとで、興奮冷めやらぬ状態でそのときに見たものの形や質感や仕上がりをまだ言葉になるかならないかのような状態で話してくれた。だけど、それはすべて五十川さんが素材やサンプルを見て触れて理解したもので、ほとんど言葉ではやりとりしていないのに私はいつも驚いていた。五十川さんにとって「もの」は言語だ。


まるで土の匂いや水の硬さを確かめるように「もの」を追う。五十川さんが選ぶ作り手は自然のありのままを素材に変え、だけど人の手を介してしか現実のものにならないようなものを作る。「もの」を作ることは自然と人間が接続するためのひとつの方法だ。もしくはその間に生じてしまった分断を繕うことでもある。五十川さんはこうして「作り手」と「もの」と「使い手」の間を忙しく行き来することで自然と人間のあいだの隙間を埋めている。


五十川さんが扱う「もの」は、どこかの誰かが決めた役割や基準を軽やかに裏切る。用途のあるものが、見方や扱い方を変えることでアートワークになる。新しいものなのに、素材に働きかけた時間のせいでずっと昔のもののように見えることもあるし、古いものが今、まさに欠けている生活の一部として機能し始めることもある。「もの」を通して世界はもっと柔軟に捉えられる。


小さな山々の緑がまぶしく輝く初夏のひととき、引き出しを空っぽにして旅に出た五十川さんは大切なものを携えて京丹波にやってくる。そこは土と水にもっとも近い場所、自然と人間の営みが混じり合いながら現れては消える場所、ギャラリー白田である。


永井佳子(キュレーター)


この文章はこの展覧会のために寄稿したものです。

ATELIER  TOA 
会期:2022年 5月7日(土)ー10日(火)11:00-18:00 Instagram: atelier_toa 
場所:gallery白田
京都府船井郡京丹波町森山田7
TEL: 0771-82-1782