海の青と空の青が混じり合う八月。熊本県天草市﨑津の集落での文化的景観の調査へ。思わず海に飛び込みたくなる暑さのなか、﨑津の穏やかな海を横切る船を眺めていると幸運が舞い込んだ。地元の方の計らいで、船舶に乗って、﨑津の入り組んだ地形を海から見ることが叶ったのだ。船から見る﨑津は、穏やかな海から陸地、そして山まで生活の場が途切れることなく続いていた。
- 海を飛び越える
「ここが塞がったら孤立してしまうのです」
前日に降った集中豪雨のために熊本から天草をつなぐ道路の一部に土砂崩れが起きたという。幸い一晩で復旧し、天草市役所のOさんの運転で私たちが乗る車も順調に天草本島のほうに向かっている。私たちは今、島から島へと海を飛び越えるように進んでいる。東シナ海に沈むオレンジ色の夕日を見ながら、西の果てを思う。次に陽の光を浴びる街はどこだろうと想像しながら、地球の丸さを感じる。

- 硬い山と肥沃な土
﨑津周辺、リアス海岸を成す山は古くて硬い岩盤でできているという。その割に山には様々な種類の広葉樹の森が広がっているのを見ると、岩盤の表面には肥沃な土があるのだろう。山の傾斜はそのまま海面に触れ、まるで湖のように穏やかな海にはぽつりぽつりと小屋が浮いている。山の恵みはそのまま海の恵みになる。この土地の人々の生活の半分は海の上にあるようだ。


- 潮の満ち引きと農地
海岸線を車で通ると、突然シュールレアリスムの絵画かのような風景が飛び込んでくる。数時間前までは海だった場所が見事に干上がって、陸の上に立派な流木がいくつもごろんと横たわっているのだ。﨑津の潮の満ち引きは絶大だ。満潮時と干潮時の潮位の差は最大五メートルほどだという。﨑津周辺は山が入り組んだリアス海岸で、平地が少ないため、この潮位の差でできる干潟を利用して農地を作ってきた。潮が引いたタイミングで海をせき止め、陸地を広げていく。それから何年もかけて土地から塩分を抜いて、水田を作るというのだ。今、水田がある土地を見ると、昔、ここが海だったことが簡単に想像できる。そんなかたちをしている。海を水田にする作業は簡単ではなかっただろうが、平地がないと農作物を育てることができない。﨑津の地形を見ていると、そのことを納得せざるを得ない。

﨑津の内陸側は今富という地域で、農業や薪木の生産を主に行っていた。﨑津から売りに来た魚を今富で売り、今富で採った薪を﨑津で売って燃料にしたり、さらにそれを船で運んで、炭鉱で有名な長崎県・高島や熊本・水俣に持って行っていたという。海を渡って山の資源を別の場所に届けていたのだ。平地がないことは、生きるために多くの工夫を強いられる。

- 﨑津と海の向こう
真珠養殖業を営む方の計らいで、船で羊角湾を船で巡る。船からしか見えない山肌にお地蔵さんが備えられ、それがこぎれいに手入れをされている様子を見ると、海を日々移動する人々の生活がここにあることがわかる。夏の眩しい日光を浴びて、真珠の養殖場、真珠の核入れを行う作業場から﨑津の港、そして漁師の人々が遠洋に出る前に祈りを捧げていたというマリア像を海から望む。﨑津の現役漁師の方にお話しをきくと、昔は丸一日かけて五島列島や津島までイカなどの漁に出ていたという。小さな船で遠洋に出るのは危険が伴った。マリア像は漁師の人々のそんな日々の拠り所になっていたというのは想像に難くない。穏やかな湖のような海は、マリア像のあたりを過ぎると少しずつたっぷりとした潮のボリュームを感じるようになる。山に阻まれていた視界が急にひらけると、水平線に貨物船が見える。東シナ海だ。その向こうには、長崎、五島列島、対馬、そしてポルトガル、オーストラリアがある。﨑津の人々にとって海は分断するものではなく、新たな場所と接続する存在だったのではないだろうか。


- 豆腐魂
﨑津は静かな集落だ。海岸沿いに道幅の狭い道路が通っている程度なので、車通りも少ない。海では潮の満ち引きを静かに受け入れ、波立つことも少ない。唯一、響くのは漁船や真珠養殖のやかたに向かう船の出発する音だ。陸地にいる人々は、いつも海の動きを気にしている。そんな静寂をくつがえすようにときおり爆音の演歌が流れてくる。慌てて、音楽のするほうを追いかけていくと軽トラに物品を乗せた行商の車だ。豆腐屋さんも生鮮食品を売る車も、演歌を流している。﨑津の静寂のなかに燻し銀がこだまして、集落が目覚める。
- 「カケ」のひととき
﨑津の海に面した家屋には「カケ」と呼ばれるウッドデッキでできた構造物がある。テラスのようになっていて、ここで漁業で使う道具を整理したり、洗濯物を干したり、道とつながった場所では海上のパブリックスペースになっている。﨑津の人々の日常の光景は、訪れる私たちにとって特別な場所だ。






