宇宙に口笛を

はじめて松本力さんが作ったみかん箱の中に入ったのは10年以上も前のことだ。東京のど真ん中の小さなギャラリーのなかに、使い古されたみかん箱が無造作に積まれていて、さぞなにか重いものが入っているのだろうと持ち上げたら空っぽ。だけどそれを頭に被ったら星空が見えるって。ダンボールと星空なんて、おかしなポエムみたいだな。そう思いながらちょっと人目を気にしつつ両手で持って、頭に被ってみたら、脳みそが吹き飛んだ。暗闇が押し寄せてきたと思ったら目が慣れてきて、ずっと向こうに満天の星空が広がっている。ずっとずっと見ていたくててっぺんまで星を追いかけていったらひっくり返りそうになった。

それと同じみかん箱が今、京橋にあるポスタルコの店内にも積まれている。今度はホワイトキューブではない。ポスタルコを作ったマイクとユリさんが好きなものを少しずつ集めていった空間、いわゆる誰かの部屋だ。そこにみかん箱だけではなくて、今度は力さんが大切にしてきたブラウン管がバランスを保って積んである。四角い画面には時々、映像がストライプになって波打ったり、瞬きをするように現れては消える。それは力さんがペンや鉛筆を握りしめて描いたドローイングがもとになっていて、いびつな線が震えたり、突然ぼんやりとした色が液体のようになって画面に染み込んでくる。曖昧な記憶が消える寸前に描き留めたスケッチのようなものが、ざらついたブラウン管のなかでチカチカと瞬いている。

ホワイトキューブにあらがうようにごろんごろんと置かれていたみかん箱は今度は好きなものしかない誰かの部屋に置かれている。だからこの場所の持ち主は力さんのみかん箱をとても気に入って大切に置いているのだ。私が10年前に見たみかん箱と、そこで見たみかん箱は同じものだけど置いてある風景は違って、この出来事の間にはとても特別な時間が流れたのだろうと思う。

ポスタルコでの力さんの展示には佐伯誠さんによる文章が添えられている。佐伯さんはそこら中を歩き回って、逸脱したものに出会って、言葉の限界に唸りながらそのひとや出来事や、とにかく曰く言い難いけど大切な何かを伝えているHunterでありWriterだ。佐伯さんもやはり10年前、ギャラリーにぶっきらぼうに積み上げられていたみかん箱に出会って、早速持ち主に会いにいった。それから力さんというひとつの宇宙にぐんぐん近づいていった。

どこにも当てはまらなくてもがきながら、だけど当てはまりそうになると猛烈に抵抗する、相反するメッセージを抱え込んだ力さん。多摩川を自転車で疾走する力さんを必死で追いかける佐伯さん。だけど、ただ追いつくだけじゃだめだから、遠くから眺めたり、近くで問いかけたり、時々叱咤したり、感動したり、がっかりする。それを粘り強く繰り返す。そうやって佐伯さんは力さんが暗闇に瞬く星を追いかけて自分の宇宙のなかに閉じこもろうとすると関係性のなかに引き戻す。まずは力と誠の関係性に。

きっと、力さんがつくるものが単なる口笛にならないで、少しいびつでぶっきらぼうだけど輝いて、それでいてずっしりと重みをもった何かになって私たちのもとに響くのはこういう関係性があるからだ。好きなものに囲まれた誰かの家での親密な会話、もしくは誰かと誰かのあいだの目配せのような映像。ポスタルコの店内の暖かな照明に照らされたブラウン管の画面を見ていると、子どものころ、意味もそれほどわからずに家でぽかんと口を開けながらテレビを見ていた頃を思い出す。時を経て作品はひとりでに成長する。暗闇のなかに瞬く孤独な星と星は関係性を結んで、星座になろうとしている。