・ 山のかたち
京都から特急列車に乗り、大阪、神戸の街並みを過ぎて二時間もすると、少しずつ山間部に入っていく。窓の外は建物がひしめく都会から住宅街へと変わり、穂をつけ始めた稲が揺らぐ田んぼの風景へと変わっていく。こうして電車は山の懐に入っていくように進み、やがて岡山県に程近い、鳥取県は智頭駅に到着する。
京都に住み始めたばかりのとき、周りの山が小ぶりでなだらかなのに驚いた。大文字山に登ると遠くまで山が波打つように見渡すことができた。確実に空の向こうまで山が続き、その山の連なりの上に京都があることを実感できた。ところが、私の生まれ育った関東では、山は遠くの空に張り付いているかのように見える。視界が抜けたところには、大抵、富士山が見え隠れしていたが、富士山はそこに存在しているというよりも、空に立ち現れるイメージのようだった。
智頭町を降りたときの山の印象はまたそれとは異なるものだった。こんもりとした木々に覆われた森がこちらに迫ってくる。森はさまざまに異なる緑色のパッチワークのようで、先が尖った木々や、比較的背が低くて丸くてこんもりとした木々が隣り合っていた。こうした多種多様な質感でできている森がそれぞれの山を成していることを、今更ながらに納得した。いつまで山を眺めていても飽きなかった。

・ 智頭の宿
智頭駅を降りて川を渡ると、立派な日本家屋の屋敷街が現れる。江戸時代、智頭町は参勤交代に向かう街道沿いの宿場町としても栄えていたため旅籠屋の建物が連なっている。今はそれを生かした宿がいくつかあって、今回、私たちはその中の一つに滞在した。窓を開けるとそこはすぐに森。山は遠くの景色ではなく、私たちの前後左右にしっかりと存在している。この森と山がぐんぐん迫ってくる感じはなんだろう。たくさんの生命が人間が住む集落に向けて、その存在を示している。

・ 木を植える
当たり前のことのようだが、そびえるほどの高さの木も最初は一粒の種から始まっている。智頭町のような豪雪地帯では、杉の木の下枝が雪の重みで地面につき、そこから根付いていくことで成長して樹木になる「伏状更新」という現象によって、森が再生されていく。杉の木は、親になる木の周りにその樹皮が赤い色をした若い苗を使った挿し木を「赤挿し」苗というらしい。智頭町は山を糧とした林業で知られた地域で、現在、樹齢350年を超える杉の巨木があることからも、江戸時代初期から造林が行われていたとされている。昔の様子を表す白黒写真には、郵便局と日用品の販売所がある村の広場に「赤挿し苗」がずらっと並んでいるものがある。植林が行われる季節の一場面だろう。活気ある風景。


・ 水と森
智頭の中心部から車で20分ほど、さらに山間の方に向かうと葦津という集落がある。奈良文化財研究所の惠谷さんが数年に渡って調査をしている集落だ。四方八方を山に囲まれているが、閉塞感が感じられないのは、どこにいても水の音が聞こえるからだろうか。それもさらさらと流れる奥ゆかしい音ではなくて、ごおっとたっぷりと流れる音だ。音は集落をつなぐ道路沿いにある水路から聞こえてきていて、曲線や段差に差し掛かると、水が白い飛沫を立てて勢いよく流れていく。近くの北股川から水を引いてきて、集落全体に行き渡るように設計されているのだという。





水路はこの集落に住む人々の生活に欠かすことのできない水場になっている。人々はその一部に各々必要な設備を作り、「いとば」という名前をつけてカスタマイズしている。スポンジ、たらいは基本装備、場所によっては屋根をかけてゆっくりと作業に集中できるようにしている場所も、道具を収納する棚を作っている場所もある。こういった生活道具の整理の仕方は惠谷さんにとって、その地域の人々の生活模様を伺い知るための貴重なディテールだ。惠谷さんは、その土地特有の地形や自然資源を生かして、人々が生活している様子が窺える細部を貪欲に探している。薪の積み方、倉庫の作り方、道具の整理の仕方など、それぞれの家に個性がありつつも、この地域ならではの共通項がある。以前は、茅葺や石積み屋根でできていた小屋も、今ではトタン、それも半透明のポリカーボネイドといった、軽やかでうっすらと光を通す材料でできている。人手が少なくなっている集落では、簡単に手に入る材料が生活を支えている。ところが、道具や素材は移り変わっても、人々が鍛錬してきた手元の技術や発想は昔から引き継がれていることが多い。そういった変わりゆくものと変わらないものの接点を風景のなかに見出そうとしている。



・ 森を突き抜ける
ジオラマのように山のなかを通るトンネルから列車が出てくる。つい次の電車の往来を楽しみにしてしまうが、次の列車は数時間後ということに気がついてその場を後にする。
